今日は、体調が良くない筆者です!
ブログを投稿したら、安静にします❗️
本題です。
毎日を過ごす中で、
「当たり前」とされる価値観に、
息苦しさを感じていませんか。
周りの意見に合わせなければと、
自分の感覚を押し殺してしまうことは
ないでしょうか。
この記事は、そんなアナタに向けて
書いています。
世の中の「常識」という名の同調圧力から
自由になるための、新しい視点。
それを手に入れるキッカケが、
ここにあります。
「常識」という名の思考停止
今日は、「それ、本当ですか〜⁉️」
という問いから始めたいと思います。
ちまたに氾濫する
「スマホがない時代には戻れない」
という発言。
これは、本当に揺るぎない事実なの
でしょうか。
筆者は、そうは思いません。
多くの人が、これを自明の理として
受け入れています。
しかし、その裏側を深く考える人は、
あまりいない。
これは一種の思考停止ではないか。
筆者はそう考えます。
スマホがもたらした新たなリスク
スマートフォンの普及は、
私たちの生活を便利にした半面、
新たなリスクを生み出したのも事実。
例えば、インターネットを利用した詐欺や、
SNSを通じたいじめの問題。
これらは、スマホがなければ
起こらなかった。
あるいは、ここまで深刻化しなかったかも
しれません。
また、歩きスマホによる事故も後を
絶たないのが現状です。
もちろん、これはテクノロジーそのものが
悪なのではありません。
しかし、その普及によって社会の治安に
マイナスの影響が出ている側面は、
無視できないポイントです。
個人的には、3Gガラパゴスケータイの時代
が一番メリ・デメのバランスが
取れていたと思います。
(余談ですが、今は、iPhoneの物真似
スマホばかりで、つまらないです。
3GガラパゴスケータイやPHS市場では、
国内メーカーがアイデアを競って面白い端末が
百花繚乱でした。
「Windows7ケータイ」こと「F-07C」
のようなとがった端末は、
2度と生まれないのでしょうか)
不可能を可能にする社会の力
では、「スマホからガラケーに戻す」
ことは不可能なのでしょうか。
官民財、つまり国と企業と国民が一体と
なって努力すれば、決して不可能ではない。
筆者はそう考えます。
かつて日本が、テレビ放送をアナログから
デジタルへ完全に移行させたように、
社会全体で合意形成を行えば、
大きな変革は実現可能です。
問題の本質は、技術的な困難さよりも、
「戻れない」と思い込んでいる
私たちの心にあります。
その常識こそが、変化を阻む最大の壁なのです。
同調圧力に屈して、思考を止めてしまうのは、
もうやめにしませんか。
筆者は、これから、あまり言語化
されていない事象を言葉にしていきます。
ただ苫米地博士の知識を広めていても、
博士にご迷惑をおかけすることがあります。
そうではなく、博士の知識をしっかり学んだ
うえで、言語化をしていきます💪
毎回はできないですが、
1歩踏み出していきます🎵
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